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2013年1月11日 (金)

【イギリス‐ロック名所めぐり vol.1】 マーシャルの生まれ故郷<前編>

父の強い影響で幼い頃から洋画を観てきた。父はもっぱら派手な娯楽映画が好みで、ワイダだの、ブニュエルだの、ベルイマンだの、いわゆる「芸術的」といわれる小難しい映画が苦手だが(というより、理解できないためまったく観ない。私も同じ)、古いハリウッド映画に関しては無限大の知識を有し、今でも私の大師匠である。

母は本人にはまったくその要素がないものの、姉ふたりがアメリカ人と結婚しており、60年代の私の家には電話帳のようなSearsの通販のカタログが転がっていたりした(ちなみにSearsは19世紀からカタログ販売をしている)。そのカタログには女性の下着からピストルまで掲載してあって子供ながらに驚いたことを今でも覚えている。

私は映画音楽から音楽に傾倒し、中学に入った頃からロックに目覚めた。そして、当然レッド・ツェッペリンやディープ・パープルに代表されるブリティッシュ・ロックに夢中になった。

今でもそうだが、アメリカン・ロックよりブリティッシュ・ロックをはるかに好んで聞いてきた。特にプログレッシブ・ロックが好きだったのは大きな理由のひとつであろう。反面、C&Wっぽいものが苦手なのと、ドゥービーのようなスッカ~ンと明るいタイプのロックがどうも性に合わないのだ。ジャズはメッチャ大好きだけどね。一番好きなミュージシャンはフランク・ザッパだが、彼の音楽をアメリカン・ロックでくくる人はいないだろう。

それでも不思議とイギリスに行ってみたいという願望はなかった。ずっとアメリカに憧れて来たし、新婚旅行で初めて訪れたアメリカや数回のニューヨークへのジャズとミュージカルの旅は興奮の連続だった。

ところが…だ。今から約10年前、はじめてイギリスに行った途端、Yes, fall in love!になってしまった。

この時受けた感動は、「イギリスに来た!」というより、「マーシャルに来た!」ということの方がはるかに大きかったのだと思う。この時のことをシゲ・ブログに書いた。(今、リンクを貼るので久しぶりにその文章を読み返したところ止まらなくなっちゃって…アホらしくも自分の書いた文章に感動してしまった!)

それにロンドンへ訪れると、ブリティッシュ・ロックへの憧憬が一気に燃え上がってしまってどうにもタマらない。ビートルズ、ツェッペリン、ベック、パープル、イエス、クリムゾン…みんなみんなこの国から出て来たんだ~…と感じた瞬間、星条旗が吹っ飛んだ!もうこうなるとジミヘンすらイギリス人扱いよ。

我が日本に比べ、人口1/2、国土2/3の同じ小さな島国の若者がどうしてロックの世界的覇権を握りえたのか…の興味もありましてね。いろいろ見て回りたくなった。

何といってもブリティッシュ・ロックのゆかりの地はロンドンに集中していて、東京のように地下鉄やバスで街中の行き来が自由ときてる。もっとも東京がロンドンをマネたのだから当然だ。NYCを除いて、車がなければ何もできないアメリカとは大違い。このことも大いに魅力に感じた。

どうしてもみなさんにこの魅力を伝えたい!と始めたのが今はなき「ロンドン・ロック名所めぐり」だった。おかげさまで大好評を頂戴した。あれからずいぶんと時間も経過し、新しい情報も大分たまってきた。そして、今回からこのマーシャル自身のブログでスケール・アップして再登場させるのであ~る。   

ところで、このシリーズのタイトル…ものすごく悩んだ。以前はロンドンのロックにまつわる名所を紹介しようと「ロンドン・ロック名所めぐり」としていたが、幾ばくかの年月を経てわかったことはロンドン以外にもイギリスにはたくさんのロックの名所があって、それを無視することができないということだった。

そこで、シリーズ名を『UKロック名所めぐり』とし、紹介する範囲を広げようとした。だが、待てよ…、「UKロック」になっちゃってるな…ということに気がついた。「UKロック」と言う言葉は好きではない。ならば…ということで素直に日本人らしく「イギリス-ロック名所めぐり」にすることとした。略して「色目(イロめ)」だ。「イギリス・ロック」と間を中黒(・)でつなぐのも変なのでハイフン(-)でつないでみた。

余談だが、「ギョエテとはオレのことかとゲーテいい」という言葉がある。これはゲーテの綴りが「Goethe」と奇怪であるため、様々な日本語表記が充てられ、本来「グーテ」と「ゴーテ」の中間ぐらいの発音が、遠く「ギョエテ」まで及んでしまい、当のゲーテが驚いたというギャグ。その表記のバリエーションは何と45通りもあったという。

ついこのゲーテの話しを思い出してしまうのが「イギリス」という言葉。我々が「グレート・ブリテンおよび北部アイルランド連合王国」を指す時に普通に使っているこの名称…実はほとんどすべてのイギリス人は、この極東の島国に住むブリティッシュ・ロック好きの民族が自分の国を勝手に「イギリス」と呼んでいることを知らない。ご存知の通り、「イギリス」という言葉はポルトガル語の「Inglez」が語源とされている日本語なのだ。

我々が彼らの国を「イギリス」と呼んでいることを当のイギリス人に伝えると存外にビックリされる。かつては世界を征服した一等国の自負を持つ彼らの国が、耳にしたこともないキテレツな名前で呼ばれているからだ。おもしろいよ。我々にとってみれば「イギリス」は「イギリス」だもんね!

え、「イギリスもいいけど食べ物は大丈夫なのかって?」ダメダメ。バックパッカーに近い状態の貧乏旅行で訪れなければならない以上、コレだけはあきらめるしかない。せいぜいポテト・フライの味を楽しむこった!(マーシャルの連中、読んでないだろうナ…)でも、あのおいしいエールがあるけんね。

極力このシリーズではロック名所に関することに限って記すように努め、食べ物や風土に関する紀行文的なものは、都度案内をするので副教材的にシゲ・ブログをご参照いただきたい。ただし、シゲ・ブログで触れていない古い内容については、マーシャル・ブログに再録させていただくことにする。

ロック好きの方がイギリスへ行くチャンスをゲットした時、「そうだ、マーブロの『イロめ』見ておこう!」なんてことになったらうれしい限り。

さぁ、ロックバカオヤジのいやらしい自慢と知ったかぶり、執拗なボヤキに空虚な懐古趣味を乗せてイザ、ブリティッシュ・ロックの聖地へ!

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ひっさしぶりにVirgin乗った~。向こうの人って戦闘機もそうだけど、飛行機のこの先っちょにイラストを入れるでしょ?これを「ノーズ・アート(Nose Art)」と呼ぶそうだ。

さて、ここまで書いて、記念すべき第1回目の話題をどこにしようかと悩みに悩んでしまった。

普通であればロンドンの中心地、ピカデリー・サーカス(Piccadilly Circus)あたりから歩を進めるべきかもしれないが、ここはマーシャル・ブログ。マーシャルのブログだ。マーシャルの発祥地をまず紹介しないでどうする?という考えに至った。

今、世に出ているロンドンのガイドブックすべてをひっくり返しても、このマーシャルの発祥地を観光名所として掲載しているものはあるまい。そりゃそうだ。しかし、我々ロック・ファンには訪れておいても損はないところ。

…ということもあって、12月12日に出来した日本で初めてのマーシャル本『Marshall Chronicle』のP10~11にコラムとして簡単に記しておいたのだ。本当はもっともっと詳しく書きたかったが、紙幅が限られているのでアソコではサラリと紹介させていただいた。

そして今ココで、『イギリス-ロック名所めぐり』の最初の記事としてマーシャルの故郷を訪ねるのだ!

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マー本と多少ダブル箇所もあるけどご容赦あれ。

まずは、ジムの生家を訪ねることにする。住所はジムの半生記『The Father of Loud』に出ている。

マーブロではいつも音楽配信を敵に回すようなことを言っているが、こういう時は正直ITの恩恵に感謝せずにいられない。Googleでその住所を入れて出てきた地図をグリグリいじりまわせば最寄りの地下鉄の駅など瞬時にしてわかるのだから。

そして、突き止めた最寄りの駅は地下鉄セントラル(Central)線の「ホワイト・シティ(WhiteCity)駅」。何となくこの名前を聴くとスティーヴィ―・ワンダーの「Living for the City」を思い出してしまう。この駅は1908年に開業している。同じ年に竣工したスポーツ・スタジアムや付帯設備が純白だったことよりこの名前が付けられたらしい。

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マー本にも記した通り、ジュリア・ロバーツとヒュー・グラントの『ノッティング・ヒル・ゲイト(Notting Hill Gate)』から2つ西に行っただけなのだが、街の雰囲気はガラリと変わる。例えていうと、そうだな…錦糸町から亀戸へ移った感じかな?

何となくジムの出身地はロンドンの中心から大分離れているという印象があったのだがゼ~ンゼン。確かにウエスト・エンド(West End)やシティ(The City)のようににぎやかではないが、もしこれが東京であれば通勤が超ラッキーという距離だ。

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駅前にあるTelevision CentreというBBCの施設。

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こちらもBBCの施設だ。ドデカい送迎バスで従業員を送迎していた。

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ウッド・レーン(Wood Lane)という通りを駅から7、8分ほども歩いたろうか…。ウエスト・ウェイ(West Way)A40という幹線道路を渡るとあたりはヴィクトリアン・ハウスが立ち並ぶ住宅街となる。

さらに歩を進めて右側に現れたのがこの「ザ・パヴィリオン(The Pavilion)」というパブ。「ムム、見覚え、聞き覚えがあるゾ」とシャッターを切る。

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このパブはジムが幼少の頃、毎週日曜日、教会の帰りに親戚と寄ったという店だ。

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ジムはここでジュースを飲みながら店内で奏でられる生演奏に接した。もちろんジャズである。これがジムの最初の音楽体験だったという。

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このパブを右に曲がり、しばらく行き、「ラティマー・ロード(Latimer Road)」をさらに右に曲がるとこの「スネアズゲイト・ストリート(Snarsgate Street)」にあたる。

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ストリートといっても長さ100mにも満たない袋小路だ。

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その入り口からすぐの左側の建物。

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ここが後のDr. Jim Marshall OBEの生家だ。ジムは1923年(大正12年)の生まれ。

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ジムは5歳から12歳をすぎるまでの幼少期を病院で過ごすことになるので、実際にはそう長い間ここで暮らしたワケではない。
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しかし、ここの家に生まれたジム少年がロック・ギターに不可欠なマーシャル・アンプを作ったのかと思うと非常に感慨深いではないか。
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マーシャル家はこの後、そう遠くはない場所に引っ越す。詳細はマー本に譲るが、その引っ越し先からほど遠くない場所にドラム・ショップを開くことになる。1960年のことだ。

そのロケーションであったからこそ、ピート・タウンゼンドやリッチー・ブラックモア、ビッグ・ジム・サリバンが、そしてエリック・クラプトンが店にやって来、ジムにアンプ製作の依頼をしたのだ。もし、この生家がマンチェスターやバーミンガムであったらマーシャルはこの世に現れることがなかったと想像してよかろう。

つまりはこの家こそがマーシャル・アンプの、そして、ハード・ロックの原点といっても差し支えないのである。ロマンチックだナァ~。

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つづく