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2013年4月16日 (火)

【イギリス-ロック名所めぐり vol.6】 サウス・シールズ(South Shields)

筆者の勉強不足により 政治や経済の話題を取り上げないようにしているマーシャル・ブログだが、今日はホンノ少しばかりそのあたりを…。

今日は他の記事を掲載するつもりであったが、先週サッチャーが元英首相が逝去したことにより急遽予定を変更して、ウィンストン・チャーチルと並んでイギリスの政治史に名を残すこの有名なイギリスの宰相の話をする。な~んて、そこはマーブロのこと、カタイお話は一切なし。現場からおもしろい話が舞い込んできたのでそれを紹介したいと思っているのだ。

記事としては、「ロック名所めぐり」。サウス・シールズ(South Shields)を紹介する。サッチャーとロック?何の関係もないけど結びつけちゃうよ~!

さて、サッチャー。日本のマスコミが彼女の業績を「英国病と呼ばれる長年の不況から経済の立て直しに成功したが、貧富の格差を広げ、不支持を唱える人も多い」とか喧伝しているぐらいで、実際にはそう身近な存在ではないというのが今の普通の日本人の感覚だろう。日本ではもう過去の人だ。

「Margaret Thatcher」というのが彼女の名前。ちょっと前まで「サッチャー」のつづりは「S」から始まるものだと思っていた。恥ずかしい…。「T」で始まるんですね。あのメリル・ストリープ主演の伝記映画がもう少しマシだったらもうちょっと私の意識も違っていたかも…?アレは実にヒドイつくりだった。

サッチャーが亡くなり、このことをやたら見かけたり、聞いたりしているうちに思い出した。それは、弊社のスティーヴ・ドーソン(Steve Dawson)のことだ。

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スティーヴのことはマーブロやマー本ですでにおなじみの方も多いことであろう。もとアニマルズのギタリストで、プロ・ギタリストとしての経験を活かし、現在は弊社のR&Dのスタッフとして、VintageModernやJTM45/100等のビンテージ系モデルの開発に携わっている。

Mc

マー本のインタビューにもあるように、スティーヴはブリティッシュ・ロックに造詣が深く、日本では絶対に得ることのできない情報を与えてくれる私のブリティッシュ・ロックの師匠のような存在で(何せ本場仕込み!)、年齢もやや近いことからとても仲良くしている。

彼は彼で地球の裏側でマーシャル・ブログを毎日必ずチェックしてくれているマーブロ・ファンのひとりで、今日の登場もよろこんでいることと思う。何しろこれから彼の生まれ育った街、サウス・シールズを紹介するのだから…。Shige Blogですでに一部を紹介しており、若干内容が重複することをご容赦願いたい。

さて、スティーヴの住むサウス・シールズ(South Shields)はイングランド北部最大の都市、ニューキャッスル(Newcastle upon Tyne)からタイン川沿いに河口に向かって電車で20分ほ行ったところだ。

近くにあるサンダーランド(Sunderland)という街がある。ここは実は我々には馴染みのある場所だ。Freeの『LIVE!』に収録されている「All RIght Now」と「The Hunter」がこの街にあった劇場で録音されているからだ。その劇場は残念ながらもう取り壊されてしまったが…。このアルバムの残りの曲はロンドンからブライトン(Brighton)に行く途中にあるクロイドン(Croydon)にある劇場で録音されている。これは「ブライトン」の回でまた登場することになる。

Free
この北海に面する美しい港町、サウス・シールズはかつて炭鉱と造船で繁栄を誇った街だった。

『エイリアン』、『ブレードランナー』、『テルマ&ルイーズ』、『グラディエーター』などの大ヒット作を撮ったリドリー・スコット(Ridley Scott)やモンティ・パイソン(Monty Python's Flying Circus)の中心人物、エリック・アイドル(Eric Idle)もサウス・シールズの出身だったりなんかしちゃったりする(広川太一郎風に)。

余談だが、リドリー・スコットはロンドンに家を持っていて、そのハウスキーパーのひとりが日本人だった。その人の著書『イギリス人はおかしい』によると、このリドリー・スコットという人は一日に何度も掃除をして、階段の真鍮の手すりはいつでも指紋ひとつあってはならないという異常なまでの神経質で潔癖症なのだそうだ。だからあんなに緻密な映画を作ることができるんだね~。

そして、エリック・アイドル。モンティ・パイソンが東京12チャンネルで放映されていたのは私が中学生の頃。36年前かな?「オカマの恐竜」っていうアダ名のヤツがクラスにいたナァ。モンティ・パイソン、本当に面白かったナァ。少しはイギリスの文化を勉強した今ならもっと楽しめるだろうな。

さて、エリック・アイドルの持ち歌に「Always Look on the Bright Side of Life」というモンティ・パイソンの映画『Life of Brian』の挿入歌がある。

「Look on the Bright Side」というのは映画や歌でも時折見かける表現で、「明るい面を見ようよ」…要するに「くよくよしないでポジティブに行こうぜ!」という意味。

磔刑、つまり、はりつけに処せられたエリック・アイドルが、同じく十字架にはりつけられた主人公に向かって「口笛ふいて明るく行こうぜ!」と歌いかけると、やがて20数名の受刑者全員が首を揺らせて(みんなはりつけになっているため自由に動く身体の部分が首しかない)みんなで楽しく合唱してしまうというこの映画のラスト・シーンに使われた曲だ。このシーンは当然、宗教上の理由で大きな問題になったらしい。また、驚いたことにこれがディズニーの『ピノキオ(Pinnochio)』の挿入歌「困ったときには口笛を(Give a Little Whistle)」のパロディかつアンサー・ソングだっていうんだよね。よ~やるわ!

この曲は朝のワイドショウのお天気コーナーのBGMで使われているので聞いたことのある方も多いだろう。映画は1976年の公開だが、後にサッカーを通じてリバイバル・ヒットとなった。去年のロンドン・オリンピックの閉会式にもエリックが登場してこの曲を歌い、会場にいた観客数万人が合唱したほどイギリスでは有名な曲で、にわかには信じがたいが、葬式の時にも歌われることがあるらしい。

スゴイのは1982年、フォークランド紛争の時だ。アルゼンチン軍の攻撃を受けた駆逐艦シェフィールドが沈みゆく中、乗組員たちは救助を待つ間、この歌を歌って励まし合ったという。また、湾岸戦争の時も、イギリスの空軍パイロットたちが出撃前に、やはりこの歌を歌ったのだそうだ。

「Always Look~」を聴いたことのある人なら、なぜ私がこうした事象をおもしろがっているかがおわかりになると思うが、この曲はおおよそ、そうした深刻なシーンにふさわしくない軽快でコミカルな歌だからだ。

ビートルズの曲を除いてイギリスで有名な歌といえば「God Save the Queen(イギリス国家)」、「Pomp and Circumstance(エルガーの『威風堂々』)」、「Jerusalem(エルサレム:ELPが演ってるアレね)」、「Greensleeves(民謡)」らがすぐに思い浮かぶが、もしかしたら「Akways Look on the Bright Side of Life」が次点につけているのかもしれない。

余談以上。

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話もどって…面倒かもしれないが、この記事を読み進めるためにこの動画をチェックしていただきたい。何もすべてご覧いただく必要はない。チョットでいいから見て欲しい。1950年代のサウス・シールズのようすである。

そしてこれが現在のサウス・シールズのようすだ。

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これは平日の夕方5時ぐらいに撮影したもの。街一番の繁華街だ。ご覧の通り人影がまったく見えない。

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街から誰もいなくなっちゃうSF映画があったじゃない?まるであんな感じ。でも、これはCGでもなんでもない。本当にひっそりとしていてゴースト・タウンのようだ。

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ナント、この通りは先ほどご覧いただいた動画に出てくる通りなのだ。あのトロリー・バスが行き交う、群衆であふれたにぎやかな通りの現在がコレなのだ。

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繁華街に近いこのWetoe Roadも…

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ここも…誰もいない。左に見えるのはスティーヴの後ろ姿。今、この通りにいるのはスティーヴと私だけ…。

この数日前、サウス・シールズのパブで2人でイッパイやった時、私が「サウス・シールズはとてもよいところだね!」と切り出すと、スティーヴは「かつてはもっとよい街だったんだよ!」と答え、徐々にマーガレット・サッチャーについて語り出した。このサウス・シールズをゴースト・タウンにしてしまったのは彼女のせいだ…と。

サッチャーの徹底した産業の合理化、弱者切り捨て施策でサウス・シールズの産業は壊滅した。炭鉱は閉鎖し、造船工場、鉄工所はすべて廃業してしまったのだ。

ま、街の凋落ぶりは、かつては東洋一の歓楽街であった浅草のようなものだが、先の動画を見てしまうとさすがに驚きは隠せない。ドラスティックな政策の恩恵を受け、大儲けした人もたくさんいる一方、イギリス各地では今でもそのサッチャーが敷いた政策に苦しめられている人が多いという。

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そして、サッチャーの逝去。

そうした反サッチャーを唱える人たちは、今、「Ding Dong the Witch is Dead」をみんなで声高らかに歌っているらしい。

ご存知の方も多いと思うが、この曲は1939年の映画『オズの魔法使い』の挿入歌だ。竜巻に舞い上げられた主人公ドロシーの家が西だか東だかの魔女の上に落下して息の根を止めてしまう。すると、その魔女の悪政(?)に苦しめられていたその国のマンチキン(Munchicken)という小人の住民が「魔女が死んだ!」と大よろこびしながら、この歌を歌うのだ。

不謹慎かもしれないが、この話をサウス・シールズの親友から聴いて、イギリス人独特のブラックなセンスに笑ってしまった!この辺りは日本人にはできない、イヤ、したくても慎んでしまう行動であろう。

先週末にはトラファルガー広場に800人もの反サッチャーを掲げる人たちが集まって、サッチャーの死をよろこぶお祝いが開かれたという。

ちなみにElton Johnの「Good Bye Yellow Brick Road」は『オズの魔法使い』からインスピレーションを受けて作られた曲だ。

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そして、もうひとつ笑っちゃったのがコレ。

サッチャーの葬儀は国葬ではないが、それに準ずる大がかりなもので、その費用は800万ポンドにも上るという。ナント12億5千万円にも上る巨費だ。で、この莫大な費用をどうやって調達するのかというと、当然税金によってである。つまり、国民が自腹を切って頼みもしないお葬式の費用を払うというワケだ。反サッチャー派の人たちはこう言っているという。

「チッ!アイツ、死んでまで俺たちに請求書を突き付けてきやがった!」

確かに払わされる反対派の連中には怒り心頭な話になるだろうな…。

この緑の看板は楽器店。潰れている。

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さて、さてさて、キューブリックの『フル・メタル・ジャケット』、ヒッチの『サイコ』よろしく、ここでガラリとストーリーが変わるよ~!後半はロックの名所をめぐっちゃうよ。

エ、そんなひなびた街にロックの名所なんかあんのかよ?と思うでしょ。あるんですよ。ちょっとだけ…でも最高にオモシロイ!

それはですね、この(現在はさいはての)港町に、ジミ・ヘンドリックスが来ているのだ!

下の写真はSouth Shieldsの博物館。一番大きな展示はやはりこの街が生んだ世界的な女流ベスト・セラー作家、キャサリン・クックソン(Catherine Cookson)関連のものだが…

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こんな展示もある。

「知っていましたか?」「ロックのスーパースター、ジミ・ヘンドリックスはサウス・シールズで演奏しました」

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「1967年2月9日、ジミ・ヘンドリックスは一晩だけシールズのセラー・クラブ(Cellar Club)で演奏しました。ヒット・チャートの5位まで上った『Hey Joe』を引っ提げて北部各地を一度ずつ演奏して回りました。観客は生涯忘れられない経験をしましたのです。人気のスターが歯でギターを弾き、トレードマークのサウンドで会場を満たしたのです」とある。(「Hey Joe」についてはいつかまたもっと詳しく…)

当時、マネージャーであったチャス・チャンドラー(Chas Chandler:元アニマルズのベーシスト)がニューキャッスルの出身だったため、この地方への巡業が敢行された。

ニューキャッスルから離れたこの港町にジミ・ヘンドリックスが来たのは、サッチャー登場前にはいかにこの街が栄えていたかの証明でもあろう。ここで前半の動画が生きてくるのね。

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同じ感じでもうひとり紹介されているのはモハメド・アリ。1977年にサウス・シールズと近隣のジャロウという街を訪れた。

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冒頭のスティーヴの写真はスティーヴのオフィスで撮影したもの。つまり、マーシャルのサウス・シールズ駐在研究所だ。そのすぐ隣のビルにあるのがコレ。

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これがオリジナルのセラー・クラブ(Cellar Club)。「Cellar」といのは「地下貯蔵庫」という意味。エアロスミスの『Rocks』の「Rats in the cellar」とかワイン・セラーとかの「セラー」だ。

オープンしたのは1956年。「Cellar Jazz Club」というジャズのハコだった。1956年といえば、マイルスがマラソン・セッションを敢行し、ロリンズが『Saxophone Colossus』を、ミンガスが『Pithecanthropus Erectus(直立猿人)』を、モンクが『Brilliant Corners』を発表し、穐吉敏子がバークレーに留学した年だ。

いかに大英帝国とはいえ、当時、これらの最先端のニューヨークのジャズがリアル・タイムに伝播したとは考えにくいが、ハード・バップ盛んなりし頃、このジャズ・クラブも相当なにぎわいを見せていたようだ。

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何しろ、週七日、毎日ライブがあったそうだ。

今では普通の家の地下室になっている。

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次のサウス・シールズの「ロック名所」はコレ。場所ではなくて人。つまり、スティーヴ・ドーソンというギタリスト。家にお邪魔して撮らせてもらった。

彼は愛用のストラトキャスターをこのケースに入れて、The Animalsのギタリストとしてエリック・バードンやジム・ロッドフォードらと世界中を回った。SaxonにもSteve Dawsonという人がいたようだが別人。

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現にスティーヴは、『We Sold Our Soul for Rock'n'Roll』というイングランド北東部のロックシーンの歴史を編んだドキュメンタリーDVDに当時のこの地域のロック・シーンの生き証人として登場している。

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そして、スティーヴがギター・ケースとともに寝室のクローゼットから取り出して見せてくれたのがコレ。

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「Lovetone」のエフェクター・コレクションだ。

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この他にもまだコレクションしている。日本ではどうか知らないが、イギリスでは大変に入手困難なアイテムだそうだ。几帳面なスティーヴはキチンと外箱とともに保管している。

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さて、今日のハイライト!

この四角いおもしろくもなんともない三階建ての建物。ここの最上階にセラー・クラブの2号店(New Cellar Club)があった。1967年2月1日の水曜日、ここでジミ・ヘンドリックス、ノエル・レディング、ミッチ・ミッチェルが演奏したのだ。

エクスペリエンスはニューキャッスルを中心としたタイン川近郊の地区(Tyneside)で何回か演奏したが、このサウスシールズのギグがシリーズの初日だった。

The Bondという地元のバンドがサポート・バンドとして登場した。普通、サポート・バンドは前座としてメイン・アクトの前に演奏するのが常識であるが、この時は何とエクスペリエンスが先に演奏したという。理由はエクスペリエンスの到着が大幅に遅れてしまったため、The Bondはエクスペリエンスの演奏が終わるまで自分たちの機材のセットをさせてもらえなかったというのだ。

このThe Bondのメンバーの記憶では、やはりとてもバタバタしていて、サインをもらう時間すらなく何の曲が演奏されたのかも覚えていないという。

エクスペリエンスは当時人気が出だした時分で、最初のシングル、「Hey Joe」がヒット・チャートをにぎわしていた。月曜日にはBBCで「Hey Joe」、「Rock Me Baby」、「Foxy Lady」を演奏・録音し、火曜日にはサヴィル・シアター(そのうち「名所めぐり」で紹介します。一時ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインが所有していたシャフツベリーの劇場)で「Hey Joe」のPVを当て振りで撮影し、水曜日の朝、その晩のギグのためにロンドンから400km離れたサウス・シールズに向かったという。

そりゃ疲れて遅刻もするわナァ。いかにジミ・ヘンドリックスが急速にスターダムをのし上がっていったかを感じさせるエピソードではなかろうか?

ちなみにこの時、ジミはニューキャッスルのチャスの実家に泊まったという話だ。この時、チャスはロンドンに電話をして「Hey Joe」がチャートの7位まで上がっていることを確認していた。スゴイ勢いだったんだろうね。

ところが、エクスペリエンスのこの時のステージは惨憺たるものだったようだ。演奏を始めるや否や、ジミはアンプを飛ばしてしまい、即座にノエルのアンプにプラグインして弾き続けた。ノエルはとっさにその場にあったThe Bondのギタリストのアンプを使ったが、何しろ5W程度の出力しかなく、始終ベースの音が歪みひどいサウンドになってしまった。

スタッフがタイミングを見計らって、今度はノエルのベースをボーカル用にPAにつなぎ、ボーカルのマイクをノエルが使った5Wのアンプに突き刺した。おかげでブレイク以外の箇所でジミの歌はまったく聴こえなかったという。

うまい具合に地元の数々のバンドの面倒をみていた男がその場に居合わせたため、その男からジミのマーシャルを修理するためのヒューズを分けてもらい、代替のアンプを借りた。(この男はのちにディープ・パープルやレインボウのツアー・マネージャーを務めた)

あまりの演奏のすごさか、音の悪さか、音のデカさに驚いたか、何を演奏したか正確に覚えている関係者がいないようだが、オープニングは何しろ「Foxy Lady」だったようだ。

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この時撮られた写真を見るとフル・スタックの用意をしてはいるようだが、ステージの天井が低いためか、ヘッドがキャビネットの上に乗っていない。それともちょうど修理をするためのヘッドを下ろしている間に撮られたのかもしれない。

この田舎の小さな小さなライブハウスで演奏したたった2年後の8月、ジミは40万人を集めた世界最大級のロック・フェスティバルに最も高額なギャラでトリを務めた。ウッドストックである。(ジミの出番の時は3万人ぐらいに減っていたが…)

そして、ウッドストックに出演した翌年、ロンドンのロニー・スコッツにエリック・バードンのステージに飛び入りした翌日、ノッティング・ヒル・ゲイトからほど近いサマルカンド・ホテルで嘔吐物を喉に詰まらせて窒息し、救急車でセント・マリー・アボッツ病院に運ばれたが間に合わなかった。

このニュー・セラー・クラブには何とクリームも出演しているという。他にもアレックス・ハーヴェイ(Alex Harvey)、ファミリー(Family)、 チッキン・シャック(Chicken Shack)、 ロリー・ギャラガー(Rory Gallagher)、ティム・ハーディン(Tim Harding)、Paul Jones(Manfred Mann)などもここで演奏した記録が残っている。

ジミがギターを歯で弾いた因縁だろうか、現在この建物は歯科医院になっている。

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土曜日の夜。

多くのパブでライブ演奏が開かれる。

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このサウス・シールズでもアチコチでバンドが演奏している。 見ての通り超満員。

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Led Zeppelin、The Who、演奏される曲はほとんどがブリティッシュ・ロックの名曲。彼らの音楽だ。演奏に合わせてエールのパイントグラスを片手にお客さんがいっしょに歌う。みんな英語ウマイからね。演奏も上等だ。

これはサウス・シールズに限った光景ではない。こういう場面を目の当たりにすると、ロックが本当に身近にあることを感じざるを得ない。日本のロック事情とは完全に別世界であることを認識した。

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ここも昔は大変なにぎわいだったんだろうナァ~。

また行きたいな、サウス・シールズ!

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つづく